剛夕先生と風かをる




貸し本屋さんに通っていなければ小島剛夕先生の本とは出会えませんでした。 近所の「ミミズク文庫」という貸し本屋さんに毎日のように通いました。 初めてのときは身分証明書の替わりに米穀通帳というものを親から借りて持っていきました。 現代物にはあまり興味を持たずもっぱら時代劇にはまっていた変な子供でした。 高校生になるまで家にテレビがなかったので、暇さえあれば、貸し本屋さんに入り浸っていました。 中学生にもなると、見ているだけでは物足りなくなり、みようみまねでコマワリなんぞして、マンガを描きはじめました。 ペンは、青インクの万年筆、色は色鉛筆、といった書き方も何も知らない出発でした。 石森章太郎先生や、手塚治虫先生のマンガの描き方などのハウツウ物を読んだのは、その後のことです。


いやぁ〜、ちょっと恥ずかしいですね。 中学生の時に友人が作成したプロットで描いたマンガです。 なにせ剛夕先生の作品からワンシーンずつ盗作してきたというシロモノですから。 f(^^;) ポリポリ

こんなマンガを友人たちに回覧して自己満足していたわけですよ。


「櫻陰の舞」原作付 未完成


ご存知弁天小僧菊之助、浜松屋強請の場です。 剛夕先生の本の巻末に出ていた絵を真似たものです。 当時、巻末に読者から寄せられた似顔絵が載っていて、剛夕先生の批評とともに優れた作品には原画をくださっていました。
心の中で自分の方がずっとうまいとつぶやきながら、ときどき恐ろしく上手な人の作品にぶつかると、口惜しくて、一生懸命練習したものです。 残念ながら、一度も投稿した事はありませんでした。

知らざあ いって聞かせやしょう
濱の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の種は尽きねえ七里ガ浜
その白波の夜働き 以前と言やあ江ノ島で年季勤めの稚児ヶ渕・・・・
油断のならねえ小娘も小袋坂に身の破れ
鎌倉無宿と肩書きの島に育ってその名さえ
弁天小僧菊之助