自己紹介というより過去紹介かな? で、「風かをる」とはどんな漫画家だったのか? ってなことを当時のカットとコメントでつらつらとつづってみることにいたしました。 まずは、「風かをる」が出来上がるまでの過程でゴザイマス♪

投稿時代


当時、別冊マーガレット誌上で、漫画の原稿を募集していました。 少女漫画家への登竜門としてその名も高かった『少女まんがスクール』。 とにかく漫画大好き少女だった風かをるは早速投稿、ドキドキしながら待った結果は・・・ (次の方は選外ですがよかった人です)いう注釈付の欄に名前が載っただけでした! 【少女まんがスクール・6回】 

どんな内容だったか詳しくは覚えておりませんが、天使が人間に恋するようなストーリーだったと思います。 今思うと原稿の寸法もいいかげんで名前が載っただけでも良しとしなければいけなかったのに・・・。 くやしかった! ちなみにそのときの金賞は「忠津 陽子」さん。 7回には「美内すずえ」さんが受賞しています。 

それから5ヵ月後の11回でめでたく金賞! 受賞作は『エマ』。 その原稿が手元にありますが、なんとこれがお子様がお絵かきに使うようなスケッチブックから切り取ったもの。 集英社に出向いた時、真っ先に言われたことは「もっと良い紙を使おうね。」でした!(笑) そのきに同時に金賞を受賞したのは「萩尾 望東」(漢字は当時の投稿名)さんでした。



別冊マーガレット時代


この時代はスポコン漫画(スポーツ根性物)絶頂期の時代でした! 少女漫画も例外ではなく、編集部の進めもあって、スポーツを題材にしたものが多かったですね。 で、ご多分にもれず、運動音痴の風かをるが(このときは本名「鈴木房子」でした)スポーツ物を書く羽目に・・・ でも、このときの流れが「平均台のビーナス」につながっているんですね~♪  オークションなどで手に入れた別マに「まんが家パトロール」の懐かしいカットを発見しました! 下の6点のカットがそれです♪

  
左から
少女まんがスクール出身者特集:夏休みにまんがをかこう (別マ・1969/8)

秋のまんが家オリジナルモードおしゃれの季節・先生方苦心の作 (別マ・1969/10)

まんが家パトロール:年賀状 (別マ・1970/1)
ウワ~~~ッ!!! 懐かしいッス♪ 成人式だって!(汗) 着物着たんですよ。 漫画の原稿料で買った真っ赤な着物。 この着物は寸法直しをして、姪っ子三人と長女、末娘が七五三で着ました。 しっかり元を取るとこなんぞ風かをるらしいですね~。

まんが家パトロール:近況報告でーす! (別マ・1970/5)
これは風かをるのカットではなく木原としえ先生のカットです♪ でもよ~くご覧下さい! 窓からのぞいているのは美内先生、高橋先生、そして風かをるなのです! 当時、仲良くしていた証拠なのです^^

   左から
はじめてのボーイフレンド (別マ・1970/2)
背が高くてハンサムでそりゃあ素敵な人でした! なにしろ面食いなもんで。

30年後の私は? (別マ・1970/3)
やさしい旦那様、大勢の孫たち・・・描いたのはまだ学生時代。 やさしい旦那様はいいとしても「大勢の孫たち」は無いよね。

別マ掲載カットはすべてトンボメガネの風かをる。(大変な近視です。) 少女フレンド系に書き始めたころはコンタクトにしましたのでメガネをかけた自画像カットは別マだけです。

'70まんが家 プレゼントシール 今年やりたいこと(別マ・1970/2)付録
見つけちゃいましたヨ~。 付録のシールに風かをるのカットを!(あ、別マだから本名だ。) 自分でも他の漫画家さんと比べて絵がへたくそなのは自覚していたからこういう付録には無縁だと思っていたんですねえ。 まったく記憶なし! こんな小さなカットだから忘れているのは仕方がないか。 でも見つけた時は「ン? 自分の絵に似てる。 いったい誰だ?」で、裏を見たら「鈴木房子」と言う名前が書かれていたってわけ。